ちょっとした経験談
本来、技術メモに関してまとめていこうと思っていたが、私が大学2年時に似たようなことが再び起きたので、文章にまとめて考えをまとめていこうと思う。
私は大学ロボコンに参加していた。参加し始めた当初は夢の様な毎日だったロボコンについての勉強はとても楽しかった。勉強してその技術が使えるから楽しいより、同じような志の友人と勉強するのが楽しかった。しかし半年が過ぎ、来年度のロボコンのロボットについての会議が始めると同時に、楽しかった日々は終わった。
そのときに起きたことは具体的には忘れてしまった。そして、地獄のような日々を経験したものは少ないため、再び話すことがないから時間とともに記憶が風化してしまった。絶対忘れないことは、私の親友が鬱になってしまったことである。親友は、来年度のロボコンのプログラムを担当することになった。いわば、彼はチームのメインプログラマーになったわけである。しかし、周りの重圧というより周りがロボコンのことしか考えていないため、当時経験の浅い彼に対して結果を求めすぎていたと思う。最後のとどめとして、本来ロボコンから引退する3年が介入してその人達が親友のかわりにプログラムを制作していった。彼は、自分の存在意義を失って鬱になった。
そんな大事件が起きたのにかかわらず、周りは誰も気にしない。私はそこでようやく気づいたチームの異常性についてを。確かに周りからは、社畜と言われていたが、それはロボットが好きであるから、そして友人たちとやるから楽しいから時間をふんだんに使って活動しているという解釈で私は捉えていたが、現実は先輩からの支持でただの奴隷として活動するという意味だった。
結果は、大学ロボコンで3年ぶりの優勝を果たすことができた。周りは感動し涙をながす人もいた。だけど、私はその結果を得るために失うものが大きすぎる。メインで動いた人たちが命令して、その命令通りに動いただけの人間がなぜ涙を流せれるのだろう。
そして、世界大会に向けて行動することになった。そのころから私はロボコンに対しての考え方、チームで楽しく活動するにはどうすればいいか考えた。それは世界大会ではなく、チームが存続していくためである。結局、考えただけで終わってしまった。
世界大会で優勝したと聞いたころには、ロボコンに対して疲れていた。だから、世界大会で優勝しても、蚊帳の外にいた人間にとってはどうでもいいことだった。
外野は結果にしか見ておらず、世界大会優勝したということを宣伝している。だけど、過程に起きたことは知らない人たちが多い。
だらだらと書いたが、結果を追い求めすぎたゆえに大切なものを失っていった馬鹿なロボコンに出場したチームの話である。